フランス南西部にあるアキテーヌ地域圏ドルドーニュ県は、先史時代の洞窟壁画などの遺跡が多数残された歴史的な土地です。藤田がこの地を最初に訪れたのは第一次世界大戦開戦直後の1915年のこと。戦争の影響で日本からの仕送りが困難となったこともあって、画家の川島理一郎とともにパリを離れ、ドルドーニュ地方のレゼジー村で数ヶ月を過ごしました。
本作品は第二次世界大戦が開戦する1939年の9月頃、戦況悪化のためパリを離れ、猪熊弦一郎とともに再びレゼジー村に一時避難した頃手掛けられたものと考えられます。藤田の代名詞とも言える乳白色の下地を活かしたモノトーンの室内画で、中央の暖炉の上の棚に並べられたモティーフはしばしば他の作品にも登場する藤田愛用の品々です。
おそらくこのようなフランスの田舎の家は、藤田にとって理想の家であったと思われます。1948年に画家自身が作ったマケット(ドールハウスのような家のミニチュア)《私たちの家》(1948年、エソンヌ県議会蔵)の室内は本作品の構図と近似しており、このマケットについて藤田は次のように語っています。「これ程フランスの田舎を想出す家は日本の隅々迄さがしても見当たらぬ。私が一番懐かしい家を持つて楽しく暮らしてる」。
この作品は第二七回二科展の「藤田嗣治特別陳列」において、全15作品のひとつとして出品されました。
ブリヂストン美術館の学芸員が毎月1つずつ作品を選んでお届けする、”私的コラム”です。
当ウェブサイトの作品画像のお取り扱いにつきましては「サイトのご利用にあたって」をお読みいただき、ご同意いただきました上でご利用ください。
QRコードを携帯で読み取ると簡単にブリヂストン美術館の携帯サイトにアクセスできます。