フォントネ=オ=ローズ(フランス)、1867−ル・カネ(フランス)、1947
父親は陸軍省の役人。典型的な中産階級に属していた両親は、ボナールが法律の勉強をすることを望みましたが、大学入学後に画家になろうとするのを妨げることはありませんでした。1887年パリの画塾アカデミー・ジュリアンに入り、89年に国立美術学校に入学します。93年マルト・ド・メリニーと名乗る女性と出会います。マルトは病弱のうえに気難しく、人に会うのを嫌いました。ボナールは彼女を生涯愛し続け、彼女をモデルにして、あるいは彼女に触発されて、多くの裸婦像を制作します。1925年に正式に結婚してからは、浴槽の中に浸るマルトの姿を繰り返し描きます。07年に初めて南フランスに旅行。その後、パリ近郊と南フランスが生活と制作の拠点となり、風景画を制作するようになります。静物画のジャンルでも比類のない色彩画家の成果を示しました。マルトの死は画家を孤独におとしいれ、5年後に住み慣れた南フランスで死去しました。
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