キエフ(ウクライナ)、1887−ニューヨーク、1964
キエフで美術教育を受けたアーキペンコは、アカデミックな指導法を批判したため放校されました。モスクワでいくつかの展覧会に出品後、1908年憧れのパリにやって来ます。ルーヴル美術館に足繁く通い、エジプトやアッシリア、ギリシアのアルカイック期の彫刻に魅了され多くを学びました。彼の彫刻に特徴的な、重量感のある、図式化あるいは抽象化されたフォルムは、これらの古い時代の美術から受け継がれたものです。第一次大戦勃発まで共同アトリエ「ラ・リューシュ(蜂の巣)」で、ローランス、レジェ、リプシッツ、モディリアーニ、シャガールらと制作活動をともにします。彫刻自体のヴォリュームと周囲の空間の関係や、彫刻に多彩色を採り入れるなど、彫刻の構成要素そのものを探求し、ザツキンらとともにキュビスムの発展に大きな役割を担いました。1928年にアメリカの市民権を取得し、パリ、ベルリン、ニューヨーク、シカゴなどに美術学校を創設しました。
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