白河、1899(明治32)−東京、1919(大正8)
1914年、15歳のときに幼なじみの伊東深水のつてで印刷会社に就職し、仕事のかたわら一時期、本郷洋画研究所の夜間部に通いますが、ほとんど独学で美術を学びました。職場の同僚の影響から、アナーキズムやオスカー・ワイルド、ニーチェの思想などに親しみます。翌年、早くも16歳で第2回二科展に《死を思う日》が入選。このとき、帰国したばかりの安井曾太郎の滞欧作を見て、色彩の重要性を意識するようになりました。その後、放浪や失意の恋愛を繰り返し、次第に幻想的な作品や宗教的なテーマの作品を、朱色などの強い原色によって描くようになります。18年、二科展で発表した《信仰の悲しみ》は5人の女性がそれぞれの手に花や果物を持ち、草原を歩いていく姿を描いたものですが、そのきっかけは日比谷公園で見た幻の光景だと自身で語っています。貧しく不摂生な生活から肺結核にかかり、翌19年、20歳2カ月で惜しまれながら亡くなりました。
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